「仮面ライダー響鬼の事情」書評

仮面ライダー響鬼」は、2005年度に放映された仮面ライダーシリーズのひとつだ。この作品は数多くの魅力を持ち、評価・分析には様々な切り口があるはずだが、放映終了した今となっては「プロデューサーが交代するほどの路線変更」された作品として、ファンの間に記憶されている。


丁寧かつ柔らかい描写の積み重ねで視聴者を魅了した本作が、なぜ路線変更を必要としたのか? 様々な憶測が飛び交ったが、関係者が口を開くはずもなく、真相不明のままこの事件は風化——していくはずだった。

「仮面ライダー響鬼」の事情―ドキュメント、ヒーローはどう“設定”されたのか

「仮面ライダー響鬼」の事情―ドキュメント、ヒーローはどう“設定”されたのか

仮面ライダー響鬼」完結から15ヶ月が経過した今になって出版されたのが、本著「仮面ライダー響鬼の事情 -ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか-」だ。このタイトルと、帯の「もちろん、東映“非”公認本!!」の文面から連想するのは「プロデューサー交代劇の真相」だが、「はじめに——産んだが育てなかった親の手記」で前置きされるように、本著はこの件に関しての言及を避け、「仮面ライダー響鬼」の初期(文芸)設定に携わりつつも本編撮影前に制作チームから去った筆者の体験談に留まっている。


当時の著者の本業は特撮ライターで、番組制作に携わるのは初めてだったそうだ。本著の文面からも、企画参加から事実上の解雇宣言がされるまでの約8ヶ月間、彼にとってやる気と刺激に溢れた毎日だったと推し量ることができる。


設定やストーリーが決定されるまでにどのような遷移があったのか、そして日々変化する状況に応じてどのようなアイディア・書類が作成されたのか。


例の事件を連想させるタイトル「仮面ライダー響鬼の事情」には疑問を禁じ得ないが、サブタイトルの「ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか」に偽りはない。個人的には、「作品」と「商品」のはざまで発生する紆余曲折を記す文献(暴露本)として、興味深く読むことができた。


しかし、著者が特撮ライター生命を犠牲にし、東映に迷惑をかけてまで本著を出版する理由を、残念ながら理解することはできなかった。「仮面ライダー響鬼」ならではの特別な事情も、著者ならではの事情も本著には記されていない。毎年、東映およびその関係者が「仮面ライダー放映枠」を巡って体験しているであろう修羅場と苦悩を、あるいは今も誰かがどこかで直面しているであろう作品制作の内情を、「たまたま体験した一見さん」がプロデューサー交代劇の話題性に便乗し、主観に基づく断片的な情報を用いて暴露しているにすぎない。


著者は「仮面ライダー響鬼」に対するみずからのスタンスを「産んだが育てなかった親」と表現しているが、「出産直後に離婚され、親権を得られなかった者」に成人した子供の何を語れるだろう?


中途半端な暴露本で過去のスキャンダルまで蒸し返されて、「仮面ライダー響鬼」さんもいい迷惑だろうに。東映は、守秘義務契約を結ばなかったのかね?

このエントリーの参考となるブログさん
輝〜kagayaki〜 それが「商業ベース」で物を創るという事なのだよ。筆者が訴えたい事は解りはするが、全くと言っていい程共感はできない。