考察.2

祭祀

仮面ライダー東映公式サイトの各話あらすじ解説は、プロデューサーみずから執筆するというスタイルを伝統的にとっているのだが、今作『仮面ライダーディケイド』では《冒涜(ぼうとく》や《呪い》などといったネガティブなキーワードが頻発している。これらの言葉は、おそらくプロデューサーたちの真意である。『仮面ライダーディケイド』が実践した、リ・イマジネーション*1という作業が、歴代の墓を暴くに等しい罪深き所業であることをもっとも熟知していたのが彼らなのだから。


また、同じく『仮面ライダーディケイド』を指して《お祭り》という言葉も連呼されている。《お祭り》とは本来何か目的を成すための儀式であるから、《墓暴き》の《口実》なのであろう。『仮面ライダーディケイド』とは、その目的を遂行するための《口実》《儀式》であり、さらに言葉を選ばなければ《生け贄》《人身御供》といった類の尊き犠牲者なのだ。


ならば全三一話として企画された儀式『仮面ライダーディケイド』の目的、あるいは込められた願いとはいったい何だったのか。それは、第一話に登場した《王墓に眠る一人》紅渡の言葉に集約されている。

九つの世界に九人の仮面ライダーが生まれました。
それは独立した別々の物語。
しかし今、物語は融合し、そのために世界はひとつになろうとしています。
やがてすべての世界は消滅します。
ディケイド、あなたは九つの世界を旅しなければなりません。
それが世界を救うたったひとつの方法です。
あなたはすべての仮面ライダーを破壊する者です。
創造は破壊からしか生まれませんからね、残念ですが。

【いわゆる平成仮面ライダーの物語が九回繰り返された事象を叙事し、ひとつの物語としてまとめる】こと。すなわち「平成仮面ライダーのパッケージ化(白倉プロデューサー*2 )」こそ、『仮面ライダーディケイド』の存在理由だったのである。その真意は明白だ。いわゆる昭和仮面ライダーが『仮面ライダーSPIRITS(村枝賢一)』などをはじめとして今なお新鮮さを失わずにいられるのは、平成仮面ライダーが十年の歴史を築きその偉大さを広め続けた結果である。しかし、その平成仮面ライダーの歴代は、その功績にも関わらず使い捨てにされて忘れられようとしている。
 いや、《王墓に眠る歴代の王(平成仮面ライダー)》は脚光よりも安寧な眠りを望んでいるのかもしれない。すでに完結した物語に強引な続編を繋げられて、この先何十年も酷使される前朝廷の王たち(昭和仮面ライダー)のようにはなりたくない、と。


だが、これからも従来と同様に何十年先まで仮面ライダーを語り継いでいくためには、彼らの復活は不可欠だった。昭和仮面ライダーだけではなく、平成仮面ライダークウガ〜キバ)にも頼らなければならない時代が訪れたのである。そのためにはそれぞれ独立している物語をひとつにまとめなくてはならない。このような背景から、冒涜とそしられようとも破壊と再生の儀式『仮面ライダーディケイド』が催されたのだ。


この儀式がつつがなく執り行われていれば、平成仮面ライダーの流れはいったんピリオドが打たれ、仮面ライダーシリーズは次回作『仮面ライダーW』からテイストを一新*3しつつ、昭和仮面ライダーと平成仮面ライダーの意志を継ぐシリーズとして新たな歴史を歩むことができたはずだ。それは全仮面ライダー未来へ語り継いでいくための希望に他ならない。


ところが儀式半ばにして事態は急変することになる。
続きます。

*1:http://www.toei.co.jp/release/tv/1187815_963.html

*2:6月頃に立ち読みした雑誌インタビュー。出典忘れ。

*3:プロデューサー、メインライター共に仮面ライダー未経験人物が起用されているところに注目。http://connexus.jp/view?cls-1_id-32470