考察.4〆

ところで今朝始まった『仮面ライダーW』面白かったですね。設定やキャラクターがかなり練り込まれていて、とても安定感がありました。第一話にしてキャラが十分動いていたので、今後も安心して楽しめそうです。なにより前衛的になりすぎたシリーズから一転、分かりやすさを大切にしているもポイント高しです。というか、当初『仮面ライダーキバ』の次番組として企画された可能性もあるので、『仮面ライダーディケイド』を差し込んで開始時期を調節したためいろいろ余裕があったのではと思ったり。まぁ、どうでもいいというか、むしろ素敵なことなんですけどね。


閑話休題

罪と罰

考察.3でモモタロスが墓の中で眠っていたと述べたが、よくよく考えれば『仮面ライダー電王』の墓はもとから空だったのかもしれない。『劇場版 さらば仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン』と併映された短編アニメ『モモタロスよ永遠に−イマジン終着駅−/劇場版(脚本:白倉伸一郎)』で、復活の前フリはされていたのたから。


さて、当初の『仮面ライダーディケイド』は歴代のレプリカ制作という《罪》を《お祭り》に転嫁して《罰(ばち)》を避ける企画だったはずだ。しかし、その計画は『仮面ライダーディケイド』の物語半ばにして潰えてしまった。《お祭り》と連呼しすぎて場の空気が《何でもあり》の方向へシフトしたのか、レプリカ制作の《罰(ばち)》を避けきれなかったのか、あるいは《儀式》を執行するプロデューサーの計略通りなのか、その原因を一視聴者に過ぎない僕の立場では計り知る術はない。はっきりしているのは、オリジナルのモモタロスが『仮面ライダーディケイド』に登場した瞬間から、《儀式》は潔くというかアッサリと予定調和を放棄して成り行き任せの《混沌》に身を委ねたということだ。


用意されたレプリカを取り込むだけのはずだった苟且(かりそめ)の《破壊者》は、真の《破壊者》として暴走を開始した。もちろんそれが悪とは言い切れない。レプリカではなく眠れる歴代を呼び起したからこそ、悔恨や慚愧の念と共に葬られた『仮面ライダー響鬼』の魂を鎮められたのだ。『仮面ライダーBLACK』と『仮面ライダーBLACK RX』の世界を二つに分けたことも、その成果と見なせるだろう。しかし、その一方で最大の《禁忌》が破られた。


仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』の公開。


平成仮面ライダーにとっては神代に等しい前王朝、つまり昭和仮面ライダーへの《干渉》である。いや、『データカードダス 仮面ライダーバトル ガンバライド』の商品展開を見ても、『仮面ライダーディケイド』が昭和仮面ライダーの世界を旅するのは当初からの目標であったろう。ただしそれは一通りの《儀式》の手順を済ました後、すなわち『仮面ライダーディケイド』の物語を消化してから示唆する程度の予定ではなかったか。『仮面ライダーディケイド』は、平成仮面ライダークウガ〜キバ)を昭和仮面ライダーと等価のパッケージとすることを目的にしていたのだから。《干渉》が早すぎたのだ。


注意したいのは、昭和仮面ライダーの世界を《破壊》したことが《罪》ではないことだ。そこまで初代「仮面ライダー」は狭量ではないし、その程度のことならとっくに映画『仮面ライダー THE FIRST』『仮面ライダー THE NEXT』が犯している。ただ、それに登場した3人の仮面ライダーが【なかったこと】として『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』でもスルーされたように、昭和仮面ライダーの放つ輝きは強大すぎた。平成仮面ライダーのみならず、すべての仮面ライダーを取り込んで完結させる役割は『仮面ライダーディケイド』ではあまりにも力不足。昭和仮面ライダーの光にあてられて、逆に『仮面ライダーディケイド』の物語が破壊されてしまったのだ。


《罪》:【昭和仮面ライダーに触れた】こと
《罰》:【完結を許されない物語】になること


矛盾した設定、辻褄の合わない展開、投げっぱなしのラストシーン。この混沌こそ『仮面ライダーディケイド』の受けた《罰》だ。『仮面ライダーディケイド』の物語が、仮面ライダーシリーズの歴史に取り込まれてしまったと言ってもいいだろう。そのため、仮面ライダーの歴史が幕を下ろすまで旅を続けなければならなくなったのだ*1。ディケイドの本質は《破壊》であるから、彼はどの物語でも歓迎されず存在をかけて戦わねばならないだろう。修羅道や無間地獄とも呼ぶべき過酷な宿命だ。とはいえ救いがないわけではない。

俺たちはこれからも旅を続ける。
世界の壁を越え、仲間を作る。
その旅はやがて未来を変える。

最終回に放たれたこの台詞からは『仮面ライダーディケイド』が、《罰》に対して前向きであることが伺える。また、考察1.でも述べたとおり、ラストシーンでディエンドがディケイドに突きつけた銃口は【はるか未来の完結】の象徴だ。


仮面ライダーディケイド


それは平成仮面ライダー10周年の《お祭り》に捧げられた【罪と罰を体現する物語】のタイトルである。



どっとはらい

*1:二〇〇九年暮れに上映される《最終回の続き》の映画で物語が完結するなど期待しない方がいい、と思う。二〇一一年に迎える仮面ライダー生誕四〇周年までは、このまま突っ走るかもしれないのだから。