考察.1

DIEND

仮面ライダー史上、というよりコンテンツ史上でも語りぐさとなるであろう見事な【投げっぱなし最終回】を極めた『仮面ライダーディケイド』。この作品をテーマにして、久しぶりにがっつりと考察しようと思う。と、いうのもこの作品のグダグダさは予算やキャスト問題などのいわゆる大人の事情などではなく、もっと根源的な業によってもたらされたものと考えられるからだ。
「ここの筋立てがおかしい」とか「こうすればよかった」などの物語論的なアプローチではなく、作品を取り巻く環境に起きた事象を含めて『仮面ライダーディケイド』とは何なのかを整理する、いわば「メタ物語論」として成立すれば〆たものだと思っていただきたい。


結論から述べれば、『仮面ライダーディケイド』とは【罪と罰を体現した物語】だ。それは劇中において主人公が《九つの世界を破壊》する存在だったのに、《逆に仲間にした》ことで《全世界の崩壊》を阻止できなかった結末に現れている。だがそれは物語内の出来事であり、制作スタッフが強権発動して水戸黄門の印籠(デウス・エクス・マキナ)よろしくお為ごかしのハッピーエンドを用意すればいくらでも回避できた要素だ。だとすれば、あの【投げっぱなし最終回】には何らかの意味があることになる。第一話と最終話に描かれたあの《ライダー大戦》が『仮面ライダーディケイド』の本質だと解釈もできるし、第一話の大戦では存在していなかったディエンドがディケイドに銃口を突きつけて終幕となった最終回のラストシーンに物語のテーゼを見いだすことも可能だ。


そもそも主人公ディケイドのライバルであるディエンドとは何者なのか。その名"DIEND"が示すのは《死と完結(DIE+END)》である。ディケイドは平成仮面ライダー10年の節目に企画された《破壊》をもたらす者だった。本人の意志とは無関係に、接触した世界/物語を変質させて取り込んでしまう迷惑な存在だ。それに対してディエンドは、自分の意志で《完結》をもたらす、ディケイドの影である。どちらも厄介者に違いないのだが、ディケイドが台風や地震などのようにコントロールの利かない《災害》とするならば、ディエンドは常にターゲットを狙って力を行使する《死神》に喩えられよう。ではなぜ、『仮面ライダーディケイド』という作品にディエンドが存在するのかと言えば、暴風雨のごとき《災害》と化した主人公の物語を《完結》させる、すなわち死を与えて《救済》する役割が必要だったのだろう。テレビ最終回のラストシーンは展開こそ強引だがその象徴に他ならない。
(これらがキャラクターの心情などとは関係なく発動する《運命》とも呼ぶべき、物語上の機能だということに注意したい)


では、彼こそがディケイドの【罪に対する罰】を実践するものなのだろうか?前段で《救済》と書いたとおり、彼はディケイド最大の味方である。いわゆる英雄神話の多くが主人公の死によって完結を迎えていることを思い出してほしい。たとえディケイドの旅が無限に続いたとしても、ディエンドはその旅の終焉を約束しているのだ。決して罰などではない。


ならば『仮面ライダーディケイド』が体現する【罪と罰】とはなんなのか?



続きます。