超・電王シリーズについての思索


平成仮面ライダーの「全てを破壊し、全てを繋ぐ」を標榜する「仮面ライダーディケイド」。そのキャッチコピーは伊達ではなく、歴代の平成ライダー9作品の内「仮面ライダークウガ」「仮面ライダーアギト」「仮面ライダー龍騎」「仮面ライダー555」「仮面ライダー剣」「仮面ライダーキバ」の6作品は、13話までにその世界観と物語を抽象化(破壊)され「仮面ライダーディケイド」の世界と物語に吸収(繋ぐ)されてしまった。そのため、まだ未放映ながら残る三作品「仮面ライダー響鬼」「仮面ライダーカブト」「仮面ライダー電王」も、同様に抽象化されるものだと思われたのだが・・・・

1. 世界観と物語の抽象化
2. 歴代仮面ライダーのアイテム(武器とか乗り物とか)への変形

仮面ライダーディケイド」による平成仮面ライダーの「破壊(抽象化)」とは、おおよそこの2点で描写されていた。ところが14、15話で描写された「仮面ライダー電王」の場合、オリジナルとの変更(主人公の若返り)はあったものの後日談としての設定は整備されていて、一切抽象化されることがなかった。また、劇中に登場した仮面ライダー電王もアイテム(デンライナー)への変形を示唆されながら結局はもう一人の主人公であるモモタロスに変形し、自らの意志で戦い仮面ライダーディケイドと対等の立場にあることを印象づけた。これは13話までに登場した6人の仮面ライダーが、仮面ライダーディケイドの所有物と化したのと比べて破格の待遇である。


こうした背景には「仮面ライダーディケイド」の仮面ライダー電王編と同期して公開された「劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦」の存在がある。だとすれば東映の戦略的な計画に則ったビジネスかと思えばさにあらず。この劇場版は(そうは思えない出来映えだったが)かなり突貫で企画されたものらしく、「仮面ライダーディケイド」の物語にも影響を与えたらしい。「仮面ライダー電王」をオリジナルのまま引用したことや、メインライターを務めていた會川昇氏が仮面ライダー電王編を前にして降板したことなどが、その煽りだというのだ。もちろん、東映にも百年に一度の不況を前にしてなりふり構っていられない事情もあるのだろう。

参考リンク:
全国映画概況発表会見で、「仮面ライダー電王」新作発表?(1/29)
http://animeanime.jp/news/archives/2009/01/post_649.html

いずれにせよ「仮面ライダー電王」が「仮面ライダーディケイド」によって抽象化されることも吸収されることもなく、独立性を顕示してみせたのはとても興味深い。


では、なぜ「仮面ライダーディケイド」が「全てを破壊し、全てを繋ぐ」作業を行っているのかを考えてみよう。平成仮面ライダー十周年を記念したお祭り企画というのがお題目だが、ある雑誌のインタビューで白倉プロデューサーは「平成仮面ライダーのパッケージ化」と述べていた(出典・立ち読みした雑誌(雑誌名忘れちゃった))。仮面ライダーのメインターゲットである一〇才以下の子どもたちが、二〇〇九年時点において「仮面ライダークウガ」をはじめとする歴代を知らない状況を打開するために、最新の「仮面ライダーディケイド」の中に取り込むことで旧作の商品価値を再び高めようという目論見である。その目玉となる企画が、昭和仮面ライダーの人気を牽引した仮面ライダーカードを彷彿とさせる「データカードダス 仮面ライダーバトル ガンバライド」なわけだ。


いわゆる大人の事情も見え隠れする商業主義的な戦略なので、毛嫌いする向きもあるだろうが、競争力を失った過去の作品に再び脚光を当てるチャンスであり決して悪い話ではない。これがオリジナルを改変した上でそれをオフィシャルとして扱う、となるとオリジナル本来の魅力が失われるリスクも高いが、ダイジェスト的なアレンジを施してオリジナルを紹介するように配慮されているのだから、十分アリだろう。


ところが、その作戦が「仮面ライダー電王」には無用だったのである。つまり「仮面ライダーディケイド」に取り込まれることは、デメリットの方が大きいということだ。ここで連想するのはことわざの「青は藍より出でて藍より青し」である。次のような三段論法でもいい。

 【仮定】
  仮面ライダーディケイド = 平成仮面ライダー連合
  仮面ライダー電王    ≧ 仮面ライダーディケイド


 【結論】
  仮面ライダー電王    ≧ 平成仮面ライダー連合

もともと「仮面ライダーらしさ」が「仮面ライダー電王」には欠落していたことも要因ではあるが、それがこのような帰結を招くとは誰が予想できただろう。


戦後60年に及ぶ日本のコンテンツの歴史において、一つのシリーズから他のシリーズへと変容(例:空想特撮シリーズ→ウルトラマンシリーズ)することはあっても、あるシリーズから異なるシリーズが派生して、原典(仮面ライダー)と最新作(仮面ライダーディケイド)に加えて、派生作(仮面ライダー電王)の三者が対等のまま同時に展開されたことなど例がない(と記憶している)。

IT技術(特にインターネット)の発達によって二一世紀における物語の生存競争が激化の一途を辿っているのは間違いないが、その中で「仮面ライダー」さんの系譜では新たな進化がもたらされようとしているのかもしれない。そう考えると「超・電王シリーズ」の未来には、可能性を感じずにはいられない。


どっとはらい