#1 感想/ジュブナイルものとしての切り口

期待通りの出来映えに満足。
久しぶりに、モニターに釘付けになる感覚を堪能しました。

感想や感慨はいろいろあります。
このブログでは心に余韻が残る特撮をある程度脳内でまとめてから考察してきたんだけど、今作ではなるべくリアルタイムに思ったことをつたない文章ではき出していこうと思う。

というわけで#1「ケータイ、歩く!?」の感想。

今作は、様々な角度からの見方が可能だが、子供向け番組がタテマエである以上、少年の成長物語としての視点は外せない。そんないわゆるジュブナイルものの導入としては完璧ではなかろうか。

「なにかを欠落した少年が旅立ちを決意し、第一歩を踏み出した途端、未知の存在と出会い冒険にまきこまれる物語」なわけだが、ここに着目するとバディものでジュブナイルものを目指した「仮面ライダー響鬼」との類似性に気づく。

〈少年〉が〈父性を伴う理解者〉に出会い、師事する。なんてところは、ありがちと言ってしまえばそれまでだが同質と判断していいだろう。だが、〈少年〉の父親の有無という違いによって、仮面ライダー響鬼ケータイ捜査官7はまったく異なる作品となっている。

仮面ライダー響鬼の〈少年〉明日夢は、〈父性を伴う理解者〉ヒビキに失った〈父親〉の影を求めていたのに対して、ケータイ捜査官7の〈少年〉ケイタの〈父親〉は健在だ。
それゆえに、〈父性を伴う理解者〉滝本(津田寛治)は物語上における居場所を得ることなく、あっけなく物語から退場してしまった。しかし、ケイタはまだ実の〈父親(田口浩正)〉に〈父性〉を見いだせていない。

仮面ライダー響鬼が〈父性〉に導かれた物語だとしたら、ケータイ捜査官7はかいま見た〈父性〉を追い求める物語となるのだろう。
だとすれば実の父親の父性に気づいたとき、ケイタは非日常から日常への帰還を許されるような気がする。

ガンバレ田口浩正!!

「父親の成長」がグッドエンディングへの重要フラグですよ。



……まぁ、そんな生やさしい作品じゃないんだろうけどさ。