論考.1 叙事詩 -エピック-

様々な意見はあるだろうが、『ウルトラマンネクサス』が、ある種冒険者としての立ち位置を占め、ウルトラシリーズの歴史上に、鋭く輝く孤高の楔を打ち込んだ作品であることは間違いない。

梶研吾氏のブログ*1より

■ウルトラ神話群

「神話」とはなんだろうか。


諸説あると思うが、「フォークロア(民間伝承)」を源流とし「神や英雄」の存在する世界で「超常的な事象」を題材に「道徳的な規範」を伝え、「世代を超えて広く大衆に支持」されている「物語」こそ「神話」なのだと僕は考える。


そして、100年以内に誕生した「神話」を「現代神話」と称するなら、「指輪物語」「スターウォーズ」だけでなく、「ウルトラマン」もそのリストに名を連ねることだろう。ひと口に「ウルトラマン」と言っても「(初代)ウルトラマン」をアーキタイプとして、10以上ものバリエーションが存在するので、「神話群」とした方が適当だ。つまり、いわゆる「ウルトラシリーズ」とは、「ウルトラ神話群」と呼ぶべき現代の「神話」なのである。


さて、この「ウルトラ神話群」は、M-78星雲を天上界とする多神教的世界観を形成していると思われがちだ。「ウルトラの父を主神として、ウルトラ兄弟が地球に派遣されて活躍したと考えれば、なんの不都合もない」というのだが、本当にそうだろうか。たとえば「(初代)ウルトラマン神話」と「ウルトラセブン神話」の間には接点を見出すことができない。この問題は2つの神話以降に発明された「ウルトラ兄弟」という概念によって一応解決したが、「セブン上司」などの矛盾を放置したままとなっている。 また、いわゆる平成シリーズ「ウルトラマンティガ〜ダイナ神話」「ウルトラマンガイア神話」「ウルトラマンコスモス神話」では、M-78星雲は原則的に登場せず、それぞれ独立した世界観が構築されている。


この通り「ウルトラ神話群」は、個々の神話同士の関連性を示しながらも、それらを包括する体系を持たないのだ。


ここにジレンマが生じる。いくつものウルトラマンが世代を超え、姿を変えて誕生したのには、一体どのような意味があったのか、と。今なお新しいウルトラマンの誕生が求められているにも関わらず、その理由が「(初代)ウルトラマン神話」を伝承するための手段でしかないのなら、「ウルトラ神話群」は模倣の集合以外の意義を失ってしまうのだ。

叙事詩

神話を伝承する形態のひとつに「叙事詩」がある。


伝承すべき事象の神髄を抽出し、ひとつの物語として再構築する形態*2なのだが、主題となる事象に加えて、同民族・地域に伝わる他の事象を吸収していることも少なくない。「叙事詩」は、編纂の過程で複数の神話を包括することが許されているのだ。


すなわち、それは「(初代)ウルトラマン神話」ではなく「ウルトラ神話群」から「叙事詩」が成立可能なことを意味する。


「ウルトラ神話群」から「ウルトラマン」という英雄の神髄を抽出し、さらに各神話の要素を包括して「ひとつの物語」を成立させたならば、それは後の世に伝承しうる英雄「叙事詩」となるだろう。また、同時に「ウルトラ神話群」の(すべてを肯定する)存在理由までも定義し、神話群を模倣の集合というジレンマから解き放つにちがいない。


ウルトラマンネクサス」を視聴された方なら、もうお分かりだろう。「ウルトラ神話群」から成立した「叙事詩」こそ「ウルトラマンネクサス」という作品なのだ*3

*1:梶研吾氏のブログはこちら。重大なネタバレがあるので未見の方は遠慮された方がよろしいかも。

*2:本来は、口伝によって伝承するための詩を指したそうだが、現代においては、その媒体は問われていない。

*3:とりあえず定義だけできたので、今回はここまで。「論考.2 光 -ウルトラマン-」に続きます。今回はネタバレなしで書きましたが、次回からはネタバレが沢山でますのでご注意ください。