斬鬼さんは三度死ぬ

電撃的な路線変更から、はや数ヶ月。 ついに「仮面ライダー響鬼」のメインレギュラーから戦死者が出ました。この展開を引き金にして、最終章(残り3話)への期待も高まるかと思いきや、どうやらそうでもない様子。


WEBで感想を見て回ると、おもしろいことに異口同音。みんな「感動的に仕上げてあるけど、斬鬼さんが死んだ意味・理由がわからない」と首をかしげている状態。かくいう僕も、日曜日に「四十五之巻 散華する斬鬼 」を観て、同じことを感じた次第。


ここで「意味もなくキャラクターを殺しやがって」とスタッフをなじるのは簡単なのだけども、なんか理由を探ることができそうなので、ちょっと考察してみようという試みです。

註1(前提):これは05年12月末頃に執筆したもののため、今後(46話以降)の展開次第では、撤回・訂正することがあるかもしれません。
註2(お願い):言葉を選ぶのが面倒なので断定口調で書きます。鵜呑みにしたりせず「こういう見方もしてるヤツがいる」程度に読んでください。脊髄反射な反発レスは厳禁で。気楽に読めば、次回からの視聴がちょっぴり楽しくなるかも知れませんよ?(疑問系なの?)

■お題「なんで斬鬼さんは死んだのか?」

■結論 「斬鬼さんの[死]には意味も価値もない」


すみません、結論が唐突すぎました。


上記の結論を納得してもらうためには、作品の路線変更によって生じた<鬼>に対するパラダイムシフトと、その結果変化した斬鬼さんの立ち位置について説明しなければ成りません。少し長くなると思いますが、おつきあいくださいませ。

パラダイムシフト

その是非は別にして、30話からの路線変更によって作品における<鬼>の概念は一変しました。29話までの<鬼>は警官や消防士のような<職業>として描かれていたのに対し、30話以降は武装して戦う<戦士>へと切り替わったのです。これを受けて、ここでは1話から29話までを<職業編>、30話以降を<戦士編>と仮に呼びます。

◇職業編の斬鬼さん

<職業編>の<鬼>は、生涯をかけてまっとうすべき道ではなく、組織的に活動し、後進を育成することで、時には<鬼>を引退することも美徳とされる価値観で描かれていました。<鬼>現役の年齢にも関わらず、歴戦による体の故障が原因で引退した斬鬼さんは、<職業編>を象徴するキャラクターだったのです。

◇戦士編の斬鬼さん

<戦士編>に突入すると、<鬼>は体が故障しても戦い続けねばならない修羅道ともいうべき価値観で描かれるようになりました。だからこそ斬鬼さんの師匠である朱鬼は戦いの中で凄惨な最期を遂げ、威吹鬼の弟子あきらは<鬼の弟子>を辞めることで<憎しみの呪縛>から解放されたのです。 (<職業編>のままなら、あきらは<鬼の弟子>を辞める必要はなかったんです。なぜなら、適正がないと判断すればいつでも<鬼>を引退できるのだから。また、桐矢少年の尊敬する父親が、消防士で火災現場で落命したという設定も納得できます)


ここで立場が危うくなるのが、<引退した鬼>こと斬鬼さん。<戦士編>は、戦う<鬼>を[勝利=生]か[敗北=死]の二元論で描かねばならず、彼のような[敗北(引退)]したのに[生]きている存在は、不都合だったに違いありません。

□[生]という矛盾の解消

つまり、「四十五之巻 散華する斬鬼 」で描かれた斬鬼さんの[死]に意味があったのではなく、<職業編>の象徴である彼が<戦士編>で[生]きているという矛盾を解消することに目的があったのです。


では、斬鬼さんは乱暴に葬られたのでしょうか。いえ、<戦士編>から斬鬼さんの[死]に至るまでの展開は、彼に対する敬意が十分に払われたものでした。それは、彼が[死]を三回体験したことから伺うことができます。

▽最初の死(概念上の死)

突然の路線変更で<職業編>から<戦士編>に突入した「仮面ライダー響鬼」。そこで生じたパラダイムシフトによって斬鬼さんは[生]きている理由を失いました。<引退した鬼>として活動していた彼は、概念上で<生ける屍>へと変質してしまったのです。

▽二度目の死(肉体の死)

負傷した元弟子の轟鬼の代わりとして、戦力不足を補うために再び<鬼>となった斬鬼さんは、そのまま命を落としました(四十四之巻 秘める禁断)。ここで彼は肉体的にも[死]を体験したのです。これは<職業編>で斬鬼さんが<鬼>を引退する原因となった戦いの、<戦士編>での再現と解釈できます。

▽三度目の死(成仏)

元弟子のことが心配な斬鬼さんは、禁呪「返魂の術」を使って復活しました。しかしそれは再生ではなく、<生ける屍>としての復活でした。そう、つまり彼は名実共に<生ける屍>となり、矛盾から解放されたのです。
そして、斬鬼さんは改めて弟子にした轟鬼の成長を見届けた後、己の[死]をはじめて受け入れ、感動的なギターセッションによって[成仏]したのです。


上記のように考えることで、「四十五之巻 散華する斬鬼 」までで描かれた斬鬼さんの[死]には、すでに概念上で[死]んでいた彼をリスペクトし、丁重に弔う意味(鎮魂)があったのではないかな、と思えてくるのです。まぁ、そうは言っても「ここまでやる必要があったのか」とか「そのために轟鬼を退行させたのかい」とか「納得しがたいなぁ」という気持ちもあるんですけどね。


いずれにせよ、路線変更によるパラダイムシフトの最大の犠牲者が、斬鬼さんだったのでしょう。


どっとはらい