考察(前編)

※ネタバレを極力しないように書いてます。


仮面ライダー THE FIRST」を観た。35年前にTVで放映された「仮面ライダー」のリメイクではなく、同時期に石ノ森章太郎が描いていた原作マンガの映画化だという。 いずれにせよ、長寿シリーズならではの「原点回帰」とか「換骨奪胎」を標榜しているだけに、制作スタッフとファンの双方に特別な意味を持つ作品なのは間違いない。「手がける者」「立ち会う者」など立場の違いこそあれ、これは「英雄再誕(リボーン)」の儀式なのだから。


上映時間はわずかに90分。この中で紡がれる「仮面ライダー THE FIRST」とは、いったいどんな物語なのか。それが仮面ライダーの「神髄」であることを期待しながら、劇場のシートに腰をおろした。 スクリーンに映し出されたのは、まさに「仮面ライダー」だった。本郷猛が改造人間にされた。ショッカーには死神博士がいた。カッチョいいバイクアクションがあった。クライマックスでは1号・2号のライダーダブルキックが炸裂した。およそ求められる「仮面ライダー」の要素・記号は、盛り込まれていた。 特にビジュアル面では、記憶の中で美化された映像がそのまま現出したかのようなクオリティだった。確かに「仮面ライダー」はカッチョよかったのだ。


しかし、しかしだ。物語を追いかける僕の中に、なにかモヤモヤしたものが生じたのである。それは最初こそ漠然としたものだったが、クライマックスが近づくにつれ確かなものになっていった。


やがて仮面ライダーが勝利し、「仮面ライダー THE FIRST」の物語は終了した。それでもモヤモヤは最後まで霧散することはなく、僕はスタッフクレジットを眺めながら、それについて考えていた。


その正体は明白だった。


僕は「仮面ライダー」の本質を、理不尽な経緯で改造された本郷猛の悲哀と葛藤の物語だと考えていた。要するに「仮面ライダー THE FIRST」には、本郷猛に焦点を絞ったドラマを期待していたのである。 だが、実際には本郷猛の悲哀や葛藤は控えめに描かれ、「その他のこと」に描写が費やされていた。


なんのことはない。僕は先入観を抱いたまま映画を鑑賞し、その結果「期待していた仮面ライダーではなかった」ことに、戸惑っていたのだ。


それでは、「仮面ライダー THE FIRST」の中で描写されていた「その他のこと」とは、いったいどのようなものだったのか。今作の制作スタッフの多くは特撮ヒーローでメシを喰ってきた面々であり、「仮面ライダー」への理解や愛はファンの比ではないはずだ。そんなスタッフが、なぜこんな要素を盛り込んだのか。これが「仮面ライダー」の「神髄」となっているのだろうか。