視聴メモ #2


> 「お祭り大集合」とした場合の成否は、ガンバライドと連携しつつ
> 再利用した過去9作品の宣伝(未視聴者向)と再訴求(既視聴者向)であり、
> マニアも驚く統一世界観の確立ではないはずだ。


先週のメモでこう書いたものの、仮面ライダークウガをリスペクトしながら要約にとどまらず、ディケイドの物語も進行させる構成は、すごいね。士のクウガ世界における視座ってのは、9年間平成ライダーを追ってきた視聴者と同じ目線だから、ああいうメタ(超越的)な知恵がまわるんだなぁ、とか思ったり思わなかったり。


仮にメタ視点だとすれば、はたして仮面ライダーの世界って9個でFIXするものなのかしらん。もちろん仮面ライダーディケイドの物語は9+1個の世界でまとめてくるんだろうけど、他の「昭和」とか「ブラック」とか「ZO」とかの他ワールドの可能性について、メタ視点だったらお触りオーケーだと思うんだよね。視聴者は、その存在を知ってるんだもの。


関係ないけど昔、宇宙論かなんかで、宇宙の未来は「1.このまま膨張を続け、密度が薄くなって蒸発」「2.どっかで重力に負けて収縮し、やがて消滅する」「3.どっちにもならず均衡のとれたところでこのまんま」のどれかだ。とかいうのを読んだことを、ディケイドを見ててなんとなく思い出したのでメモ。だとするなら、ディケイドは調停者ということになるけど果てさて。

視聴メモ #1


いろいろすごい。
平成仮面ライダー10作目の節目における「集大成」というコンセプトを見事に体現した第一話。
すでに全フォームがデザインおよび商品として確立されているなら、最初に惜しみなく披露するのが掴みとして(ついでに予算的にも)正解と言うことだろう。ディケイド本体のデザインが割と地味なのは、主役デザインでありながら二段変身前の素体という要求を満たすためということでOK?

今後注目していきたいのは、今作が「お祭り大集合」「叙事詩的総括」「その他」のどこに舵取りをしていくのかという点。
まぁ、おそらくは「お祭り大集合」だとは思うけど、なにかのきっかけで「叙事詩的総括」に化ける可能性があるので、それを楽しみにしたい。

「お祭り大集合」とした場合の成否は、ガンバライドと連携しつつ再利用した過去9作品の宣伝(未視聴者向)と再訴求(既視聴者向)であり、マニアも驚く統一世界観の確立ではないはずだ。クウガ世界のキャラ設定が原作と異なっているが、逆にそれが原作「仮面ライダークウガ」に対する訴求へとすでに転化されているあたりは見事。
 夏の恒例、劇場版が「お祭り大集合」ならものすごいことになりそうだ。

(さとうやすえの立ち位置は、納得のキャスティング←ネクサスファンの主観)
↑大嘘つきました。大反省。

もし「叙事詩的総括」になった場合に提示されるのは、「平成仮面ライダーとはなんだったのか?」というテーゼだろう。毎年繰り返された「平成仮面ライダー」という現象に意味づけがされるのかどうか。もしそれが述べられるなら、是非ともその答えを見てみたい。多分ないとは思うが、プロデューサーとメイン脚本家の名前を見る限り、もしかするとやってのけてしまう可能性があるから恐ろしい。個人的にはgdgdになってもいいから是非挑戦して欲しい。そしたら全力で補完する所存。
ただし、それに成功しちゃうと次の11作目のハードルが飛躍的に向上するトラップあり。

要約:満足しました。今後も期待します。

正調ヒーロー大河がくる

ヒーローって「憧れの象徴」だよね。

大の虫よりも小の虫を救うためにヒーローが戦っても、あらゆる考証や法則、そして確率を無視した展開で最終的に万事うまく収まるのは憧れを描いているから。

そんなわけで、型破りな新米総理大臣がみんなのために奮闘するキムタクの月9ドラマ「CHANGE」は、正しくヒーロー番組に仕上がってます。これをみた学生さんが政治家に夢を抱ける内容になってるのは、キチンと評価したいよね。
かつて弁護士志望者を大量生産した「HERO」と同じスタッフ&キャストでご都合展開がそのままなのも、仮面ライダーシリーズみたいな月9ヒーローシリーズとか考えれば不都合はなく、むしろ歓迎したくなったりします。

やはり脚本の福田靖さんは、現代日本を舞台にした「ヒーローもの」を書かせたら天下一品だなぁ、と思う次第。江口洋介主演の「救命病棟24時」の時なんか、手術シーンで戦闘モード全開の佐橋俊彦サウンドが流れるもんだから、変身ヒーローが戦ってるみたいだったもの。

ファンタジーなヒーローものを書いたら、きっと凄いモノができあがるんだろうなぁ。まぁ、やんないだろうけどさ。

とかなんとか考えていたら、彼がリアルヒーローを手がけることに。
幕末の英雄・坂本龍馬NHK大河ドラマで!

2010年の大河ドラマは「龍馬伝」。坂本龍馬の生涯を描きます!

てか、ここまで書いてから福田靖さんのコメント読んだけど、期待せずにはいられない。
wktkするなー、もう。

#3「エージェントの仕事」

第1話が1時間だったので、平成仮面ライダーのように2話で1エピソードを描くのかなと思っていたのですが、原則1話完結のなんですね。30分でエピソードをしっかり締めくくり、その上で主人公ケイタの気持ちを一歩前進させてました。

うん、おもしろい。

それはそうと松田悟志がネットワーク懐疑論を展開してました。でも、科学とかテクノロジーとかに置き換えても大差ないのがいいですね。40年前の高度経済成長期でも「オレは科学は信用しない。だから仕事は完璧に(略)」とか言ってそうです。
あー、つまり彼のセリフは今作のファクター(要素)ではあってもエッセンス(神髄)ではないということ。やっぱりエンターテインメント作品は、こうでなくっちゃ。

※深いエッセンスを醸すエピソードもそのうち出てくると思いますが、それはあくまでエピソード単位で収束するでしょう。「カリオストロの城」が「ルパン三世」の本質ではないように、ね。

#2「黒いケータイ」

気がついたら、もう火曜日だ。
#3が放映される前に感想書かないとね。

今回はセブンのキャラクターとライバル紹介がメインでした。
バディをケータイではなくアンドロイドだと思いながら見ると70年代後半、あるいは80年代の正当派(何をもって正統派と呼ぶかは不明)特撮やアニメを見ている気分になって、無闇にワクワクします。

さて、ケータイ捜査官7は豪華な演出陣が話題となっているわけですが、言い換えると個性溢れる演出家(暴れん坊)たちが「好き勝手やる!」ことは自明であり、柔軟で自由度の高い舞台とキャラクターが要求される作品だったりします。
第2話までを見るかぎり、そのためにまずは作品の足場がためを堅実に行っている印象を受けました。

なので、遅くとも第2クール突入する頃には、何でもアリなエピソードが連発されてるんではないでしょうか。それこそ、ウルトラマンマックスで三池監督が大暴れした頃のように。

楽しみだなぁ。

#1 感想/ジュブナイルものとしての切り口

期待通りの出来映えに満足。
久しぶりに、モニターに釘付けになる感覚を堪能しました。

感想や感慨はいろいろあります。
このブログでは心に余韻が残る特撮をある程度脳内でまとめてから考察してきたんだけど、今作ではなるべくリアルタイムに思ったことをつたない文章ではき出していこうと思う。

というわけで#1「ケータイ、歩く!?」の感想。

今作は、様々な角度からの見方が可能だが、子供向け番組がタテマエである以上、少年の成長物語としての視点は外せない。そんないわゆるジュブナイルものの導入としては完璧ではなかろうか。

「なにかを欠落した少年が旅立ちを決意し、第一歩を踏み出した途端、未知の存在と出会い冒険にまきこまれる物語」なわけだが、ここに着目するとバディものでジュブナイルものを目指した「仮面ライダー響鬼」との類似性に気づく。

〈少年〉が〈父性を伴う理解者〉に出会い、師事する。なんてところは、ありがちと言ってしまえばそれまでだが同質と判断していいだろう。だが、〈少年〉の父親の有無という違いによって、仮面ライダー響鬼ケータイ捜査官7はまったく異なる作品となっている。

仮面ライダー響鬼の〈少年〉明日夢は、〈父性を伴う理解者〉ヒビキに失った〈父親〉の影を求めていたのに対して、ケータイ捜査官7の〈少年〉ケイタの〈父親〉は健在だ。
それゆえに、〈父性を伴う理解者〉滝本(津田寛治)は物語上における居場所を得ることなく、あっけなく物語から退場してしまった。しかし、ケイタはまだ実の〈父親(田口浩正)〉に〈父性〉を見いだせていない。

仮面ライダー響鬼が〈父性〉に導かれた物語だとしたら、ケータイ捜査官7はかいま見た〈父性〉を追い求める物語となるのだろう。
だとすれば実の父親の父性に気づいたとき、ケイタは非日常から日常への帰還を許されるような気がする。

ガンバレ田口浩正!!

「父親の成長」がグッドエンディングへの重要フラグですよ。



……まぁ、そんな生やさしい作品じゃないんだろうけどさ。

特撮よ、5年後にサラバと言おう

ケータイ捜査官7」2008年4月2日(水) 19:00スタート http://ani.tv/k-tai7/

児童向けというフィールドで三池崇史金子修介押井守ら名だたる監督が集い「セブン」を撮る。まるで幼年期に受粉したウルトラセブンの遺伝子を伝えるかのように。これはかつて彼らに薫陶を授けた特撮への本気を込めたオマージュだ。

今作は、実写とスーツと声優とCGの融合する現代特撮の表現が完成の域に達したことを世に知らしめる福音となるだろう。そして優れたクリエイターたちが名作・傑作を産み出す礎となるに違いない。至福の時代が到来する。

だが、特ヲタよ心するがいい。
ここから同時に滅びがはじまるのだ。特撮を取り巻く環境は一変し、志の低いファンと作品を蔓延させるだろう。さらにジャンルそのものが変容し、ニューエイジ特ヲタによって旧世代は押し流され、我らはここから去らねばならなくなる。

ならばこそ、これから産声を上げる作品たちを堪能し、刺激的な変化を満喫し、新時代を歓迎しよう。
そして失楽園を嘆くことなく、ただ一言「サラバ特撮」と笑うのだ。