「仮面ライダー響鬼の事情」書評
「仮面ライダー響鬼」は、2005年度に放映された仮面ライダーシリーズのひとつだ。この作品は数多くの魅力を持ち、評価・分析には様々な切り口があるはずだが、放映終了した今となっては「プロデューサーが交代するほどの路線変更」された作品として、ファンの間に記憶されている。
丁寧かつ柔らかい描写の積み重ねで視聴者を魅了した本作が、なぜ路線変更を必要としたのか? 様々な憶測が飛び交ったが、関係者が口を開くはずもなく、真相不明のままこの事件は風化——していくはずだった。
「仮面ライダー響鬼」の事情―ドキュメント、ヒーローはどう“設定”されたのか
- 作者: 片岡力
- 出版社/メーカー: 五月書房
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
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「仮面ライダー響鬼」完結から15ヶ月が経過した今になって出版されたのが、本著「仮面ライダー響鬼の事情 -ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか-」だ。このタイトルと、帯の「もちろん、東映“非”公認本!!」の文面から連想するのは「プロデューサー交代劇の真相」だが、「はじめに——産んだが育てなかった親の手記」で前置きされるように、本著はこの件に関しての言及を避け、「仮面ライダー響鬼」の初期(文芸)設定に携わりつつも本編撮影前に制作チームから去った筆者の体験談に留まっている。
当時の著者の本業は特撮ライターで、番組制作に携わるのは初めてだったそうだ。本著の文面からも、企画参加から事実上の解雇宣言がされるまでの約8ヶ月間、彼にとってやる気と刺激に溢れた毎日だったと推し量ることができる。
設定やストーリーが決定されるまでにどのような遷移があったのか、そして日々変化する状況に応じてどのようなアイディア・書類が作成されたのか。
例の事件を連想させるタイトル「仮面ライダー響鬼の事情」には疑問を禁じ得ないが、サブタイトルの「ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか」に偽りはない。個人的には、「作品」と「商品」のはざまで発生する紆余曲折を記す文献(暴露本)として、興味深く読むことができた。
しかし、著者が特撮ライター生命を犠牲にし、東映に迷惑をかけてまで本著を出版する理由を、残念ながら理解することはできなかった。「仮面ライダー響鬼」ならではの特別な事情も、著者ならではの事情も本著には記されていない。毎年、東映およびその関係者が「仮面ライダー放映枠」を巡って体験しているであろう修羅場と苦悩を、あるいは今も誰かがどこかで直面しているであろう作品制作の内情を、「たまたま体験した一見さん」がプロデューサー交代劇の話題性に便乗し、主観に基づく断片的な情報を用いて暴露しているにすぎない。
著者は「仮面ライダー響鬼」に対するみずからのスタンスを「産んだが育てなかった親」と表現しているが、「出産直後に離婚され、親権を得られなかった者」に成人した子供の何を語れるだろう?
中途半端な暴露本で過去のスキャンダルまで蒸し返されて、「仮面ライダー響鬼」さんもいい迷惑だろうに。東映は、守秘義務契約を結ばなかったのかね?
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輝〜kagayaki〜 | それが「商業ベース」で物を創るという事なのだよ。筆者が訴えたい事は解りはするが、全くと言っていい程共感はできない。 |
CBC三部作考:序
好評のうちに完結を迎えたウルトラマンメビウス。初代マンからウルトラマン80までの世界観を継承したことで世間の注目を集め、満を持して上映した劇場版は初代マンからタロウが客演したことで喝采を浴び、そしてテレビシリーズでは過去作品の暗部に光をあて往年のファンの溜飲を下げさせた、待望のウルトラマン成功作です。
今なお人気の高い第1期(ウルトラマン、ウルトラセブン)と第2期(帰ってきたウルトラマン〜ウルトラマンレオ)、そしてウルトラマン80の設定・キャラクターのミームを用いて、「きみもウルトラマンになれる」という平成ウルトラマン(ウルトラマンティガ〜ウルトラマンマックス)の根底に流れるテーマを継承した今作は、文字通りウルトラシリーズ集大成と呼ぶべき大作となりました。
集大成であるがゆえに過去作品が残した資産をすべて消費しようとする姿勢は、やもすると今後の新作ウルトラマンの障害になるのではという危惧を抱かせる反面、シリーズではじめて前面に打ち出した「人とウルトラマンのハートナーシップ」というテーマが、これからのウルトラマンのスタンダードとなって未来を切り開くのではと期待させてくれます。ウルトラマンメビウスは、シリーズ40周年という節目にウルトラマンが飛躍するために勝ち得た翼なのです。
名古屋CBCがウルトラマンを手がけるのは、「ウルトラマンネクサス(2004年)」と「ウルトラマンマックス(2005年)」に続いて3作目です。この3作は統一したプロジェクトのもとで企画されておらず、むしろ1作目のネクサスが抱えてしまった興行的損失を補うために急遽企画されたマックスが好評を博し、その流れに乗じる形でメビウスの企画が成立したという経緯があります。
そんな裏事情を鑑みると、メビウスの成功は瓢箪から駒が出たという印象を感じるかもしれません。しかしながら僕にはネクサス、マックス、メビウスの3作品は、CBCや円谷プロ、バンダイといった制作サイドの思惑を超越した大きな流れの中から三位一体になるべくして生まれた作品と感じられるのです。まるで、ネクサスが「骨」、マックスが「血肉」、メビウスが「翼」であるかのように。
ここではこの3作品を「CBC三部作」と称し、考察していきたいと思う次第。
考察.6 結にして起となる物語
大団円で幕を閉じたウルトラマンメビウス。別途CBC3部作をまとめた考察も書きためているんだけど、いまのうちに「ウルトラマンメビウス」がどういう作品だったのかも、簡単にまとめておこう。とはいえメビウスのテーマについては過去の考察で書いており、かつそれがほぼ的を射ていた感触があるので、実際の展開と比較・検証する形でディテールをはっきりさせることができればと思う次第。
放映初期において、ここまでの考察を可能にしていたという事実こそ、メビウスという作品が強烈な光を放つゴールをはじめから見据えていた証明になるんでなかろーか。そして完全燃焼でメビウスに取り組んだ円谷プロダクションの志もね。
■考察.1 リュウは光の国へゆけるのか?(id:kka:20060423) (06/04/22)
上記を読むとネタが尽きたための懐古&商業主義的作品と思いがちですが、
(略)
ウルトラマン(シリーズ)を更なる地平へ導かんとする円谷プロ入魂の野心作だったりもするから、あなどれません。昭和ウルトラマンへの回帰を標榜する「ウルトラマンメビウス」ですが、「地球人とウルトラマンのパートナーシップ」という テーマにおいては、紛れもなくネクサス・マックスに続くシリー ズ最新作なのです。
これは、もう説明の必要なし。まさか、このテーマをここまで極めてくれるとは思わなかった。ファイナルメテオール解禁時のサコミズ隊長のセリフが感無量。(★★★★★)
従来なら融合して1人の主人公になっていた2つの存在を、 それぞれ独立させて主人公2人制とした点において、本作は すべてのシリーズ作品の続編に位置するといえます。
シリーズにおける作品の位置づけとしてこう書いたんだけど、まさかテーマに留まらず、エースやレオや80の黒歴史をとりあげて続編を描くくらい具体的な続編になるとは思いもよらなかった。脱帽*1。(★★★★☆)
どういうことかというと、過去作品が地球人を「ウルトラマン の庇護対象」として描き、最終回で「ウルトラマンを助ける仲間」へと成長させることで物語に幕を下ろしてきたのに対し、 本作は地球人を「ウルトラマンのパートナー」として描くとこ ろからスタートしているのです。 だとすれば、その象徴となっているアイハラリュウは、過去 作品でウルトラマンと共に戦ったすべての地球人の精神性を 有していることになります。もちろん、その中にはウルトラ マンと融合・分離した地球人も含まれ……。つまりリュウは、 ハヤタ・ダイゴ・我夢・孤門・カイトら、歴代主人公(地球人) の「その後」に位置するキャラクターなのです。
当時は知るよしもなかったけど、この役割をリュウよりも強く担ったのはサコミズ隊長だったね。リュウの熱血漢という性格と上記で考察した役割の相性は決して良くなく、逆にサコミズ隊長のキャラクターは、『ウルトラマンのパートナー』として完璧だった。 ウルトラマンメビウスの主人公はミライとリュウで間違いないんだけど、ウルトラマンシリーズの主人公はサコミズ隊長なんだな。
考察を良い意味で裏切った展開に満足。 (★★★☆☆)
そうです、前作の最終回で地球人はウルトラマンのパートナー として、ウルトラマンの聖地「光の国」の門を叩いたのです。それでは、その続編であるメビウスでは……。 もうひとりの主人公アイハラリュウが、地球人として初めて光の国へ足を踏み入れそうな気がしませんか?
GUYSの基地が変形して空飛んだときには、「キタコレ!!」と思ったわけだけど、結局光の国には行かずじまい。でもリュウは最終的にウルトラマンに変身したので、今作で行かなくてよかったんだろう。もしメビウスに後日談があれば、リュウをはじめとするGUYSメンバーは、光の国に招かれるかもしれない、くらいの柔軟な着地が心地よい。
いずれにせよ、サコミズ隊長が冥王星軌道上でゾフィーから「とうとうここまできたのか」という言葉を受け取った描写で、宇宙へ旅だって終わったマックスの延長としての役割を果たしてるのが見事*2。(★★★☆☆)
■考察 2 昭和と平成のクロスオーバー(id:kka:20060430) 06/04/30
交差する線(クロス)から、絆の連鎖(ネクサス)へ。 交差する線(クロス)から、表裏を融合する無限環(メビウス)へ。
これも説明の必要ないね。クロスの企画書を引用しただけなので考察でも何でもなかったわけだけど、今読むとクロスの企画書はまんまメビウスだなぁ*3。(☆☆☆☆☆)
それにしても、昭和ウルトラマンを継承するメビウスと、平成ウルトラマンを象徴するヒカリが融合してフェニックスブレイブになり、その両者を俯瞰していた感のあるゾフィが光臨して共闘した展開に、ウルトラマンの無限の未来を垣間見た気がした*4。
考察3 サコミズ隊長と5人の戦士(id:kka:20060501) 06/05/01
もしかすると、GUYSのメンバーはそれぞれ歴代ウルトラマン のメタファーとなっているのかもしれません。
人数がおんなじなので終盤でそれぞれの対応があったけど、メタファーにはなってなかったね。しかも対応は、コノミ=セブンしかあたってないし(★☆☆☆☆)
その正体がサコミズ隊長だとするなら、ウルトラ兄弟みたいな 強烈な個性の集団を統率できる優秀な隊長であることをすでに 印象づけているのかもしれません。
「可能性」と書いて予防線を張ってあるけど、いい加減なことかいたなぁ。もしサコミズ隊長がもともとゾフィーだとしたら、地球は結局ウルトラマンに庇護されていることになるので自分で主張したテーマを否定するっての。サコミズ隊長がラストで、人としてゾフィーに合体するシークエンスは、こう考えると至高の展開だよなぁ*5。 (★★☆☆☆)
06年9月上映予定の劇場版では、ウルトラ6兄弟(ゾフィーから タロウまで)が登場するそうです。その劇中でGUYSメンバーが、 それぞれ対応するウルトラマンと何らかの交流するのかもしれません、
論外。劇場版では交流どころか、出番もなかったね。そりゃ、オリジナルキャストの御大がでてきたら出番はないよ。(★☆☆☆☆)
■考察 4 ヒカリは絆だ(id:kka:20060612) 06/06/12
ウルトラマンヒカリは、ウルトラNプロジェクトのウルトラ マン、すなわちウルトラマンネクサスの延長に位置するキャラクターなのです。なによりウルトラNプロジェクトのウルトラマンは、「光」と 称されていたのですから。
最終回でリュウがヒカリを受け継いだことで確定したね。スポンサーの要請で生まれたキャラクターですらも、このように作品のテーマに昇華できる懐の深さこそ、40年の歴史を持つウルトラマンの真骨頂だーよ。(★★★★★)
昭和ウルトラマンの象徴であるセリザワ隊長が、世代交代を否定し物語の前線で戦い続けるとは思えませんし、そもそも彼の肉体は限界のようです。
結局最終回までセリザワ隊長だったなぁ。(★★☆☆☆)
もし第3クールの客演シリーズがなかったら、セリザワとリュウの間に入るデュナミストが出てたに違いない。イサナなんて、絶好のターゲットだったのにね(負け惜しみ)
■考察.5 平成ウルトラマンの凱旋 06/10/30
ウルトラマンと地球人が共に地球を守っていくための楔となる このセリフには、ひとつの可能>性が秘められています。すなわち「人はいつの日かウルトラマンになれる」という未来。
このテーマについては「第30話:約束の炎」以降つっこんだ内容はなく、「パートナーシップ」を追求する展開になっていたなぁ。ただし、それは「人はいつの日かウルトラマンになれる」というテーマを否定したわけではなく、今後のウルトラマンに引き続き課していくんだろう。(★★☆☆☆)
あくまでも私見ですが、今作のクライマックスに「“自らの意志”でウルトラマンの力を手にする地球人」の可能性が描かれるのではないかと考える次第です。
これを書いたときは、リュウが自分の意志で臨死体験を経ずにヒカリと融合変身すると確信的に予測してたんだけど、結局リュウは墜落という臨死体験からウルトラマンヒカリ(セリザワ隊長)の手助けによって変身しちゃった。そのため希望の一端にはなり得ず、一瞬「ヤバイ」と思ったんだけど、代わりにサコミズ隊長がやってくれました。まさか、メビウスでもヒカリでもなく、ゾフィが「生きた人間と融合」するなんて! この展開は個人的に一番の驚愕&喝采ポイント。
サコミズ隊長は、初代ウルトラマンの時代から現役を続けているウルトラマンの生き証人であり、言ってしまえば「歴代ウルトラマンの伴走者」だったわけ。その彼が最終回に、最強の勇者ゾフィに変身するというのは、ウルトラマンネクサスで孤門が最後の最後でウルトラマンノアに変身したのと同等の意味を持つんだ。孤門も、ネクサスという1作品の中だけだったけどウルトラマンの伴走者だったからこそノアに変身する資格を得たわけだしね。
サコミズ隊長は、リュウ以上に孤門だったんだなぁ*6(変な日本語)
テーマレベルでどんでん返しを仕掛けてくるメビウスは、どっかオカシイ。(★★★★☆)
絞め
というわけで、序盤(遅くとも2クール)でテーマを描き到達点を定義したウルトラマンメビウスが、いかに骨太であったかを我田引水的に分析した。確かにウルトラマンメビウスは「ゆるい」部分の多い作品だったけど、その一方で「40年の総決算」という、コンテンツ大国日本においても類を見ない凄いテーマをまっとうした作品だということが分かっていただけただろうか。
ウルトラマンメビウスが かつて語られたウルトラマンたちの「結」であり、 これから語られるウルトラマンたちの「起」となることを この考察から感じてもらえれば、かなりうれしーなぁ。
このエントリーの参考となるブログさん
ゼロ式感情戦闘記N 特撮レビュー 4/1 part1 |
そして登場人物それぞれのセリフの一言一言にさえ「今まで積み上げてきたもの」を思い起こさせる意味が内包されていて、それが更なる感動を生み出していたのも○。よくここまで今までのストーリーを生かした言葉が出てくるものだと感心しました。タイトルの「心からの言葉」とはよく言ったものです。 |
素顔のままで menesiaのひとりごと |
どの回も名作だったとは言わない。けれどもこうして見終わった時、忘れているものを思い出させてくれるような、妙な羞恥の中に押し込めて見ないふりをして来たものを見せられているような・・・「これが残っていてくれて良かった」と思うような、不思議な後味があった。 |
考察.2 解なきメッセージ
仮面ライダーカブトが完結しました。水嶋ヒロ演じる主人公や凝ったクロックアップ描写など「数多くの魅力を持っていた」反面、物語の構成バランスの悪さなど「欠点をあげたらキリがない」という、長所と短所が相殺しあうひどくピーキーな(とんがった)作品でした。
それでも「良い作品」であり「良い最終回」だったと思います。物語の基幹を、紆余曲折を経つつも最後まで貫いたところは、やはり「仮面ライダー」の直系だな、と。物語の基幹が何かというと、「正義の盟主“天道総司”が、完全勝利する物語」であり、「加賀美新の成長が、天道に微かな変化をもたらす物語」であるということ。
異論反論があることとは思いますが、「オレが正義。」と言い切る仮面ライダーカブトこと天道総司を考察しようとすると、世界の警察を標榜する「アメリカ合衆国」とイメージが重なるのです。
などなど。また、日常に生きる妹「樹花」と異形に産まれた妹「ひより」という絶望的な二者択一から、両者とも救ってみせた物語からは、和製ヒーローというよりもアメリカンヒーロー的な思想を感じませんか。いずれにせよ、本作で描いていた「正義」とは、「正しい判断」と「圧倒的な武力」によってもたらされるものであり、「アメリカ合衆国の正義」と一致するものでしょう。
そう考えると、もうひとりの主人公「加賀美新」が日本国的な立ち位置にいることに気づきます。無力だった彼が天道の助力を得て、対等な立場まで成長したのは現在の日本に通じます。 最終回で、彼に課せられたテーマが「天道と共に生きる仲間になるのではなく、天道と共に立つ友人となること」だったことが明らかになりました。いうなれば「自立(インディペンデント)」ですね。これ以上書くと外交談義になってしまうため割愛しますが、加賀美新の成長物語には、未来の日本を担う子供たちに向けた「解のないメッセージ」が込められていたと思うのです。
そして天道の正義が「絶対的な正義から、変化を許容する正義」へと変化したところに、未来への希望を感じることができるのかな、と。
いろいろ気になる点もありましたが、ややもすればすぐにシラケしらけてしまう言葉「正義」に真っ向から挑み、それをカッチョ良く描いて見せた「仮面ライダーカブト」は、「いい作品だったなぁ」と感じる次第。
一年間、愉しませいもらいました。 僕と同じく(いろいろと)ハラハラドキドキ視聴されたみなさん、おつかれさまでした。
※まったく更新のないブログですが、これからは熟考したネタよりも、更新頻度を高める方向にシフトするかもしれません。まぁ、どうなるかは今後次第と言うことで。
考察.5 平成ウルトラマンの凱旋
「この日、ぼくたちは新たな一歩を踏みだした」
第30話「約束の炎(2006/10/29)」にて、ヒビノミライ(ウルトラマンメビウス)の正体を知った防衛隊CREW GUYSのメンバーは、彼を従来と変わらぬ仲間として迎えました。ウルトラマン(シリーズ)におけるラストエピソードの定番「正体バレ」を物語中盤に据えたことで、ウルトラマンメビウスはすべてのウルトラマンの続編として、真章とも呼ぶべき展開に突入したのです。*1
ミライは、もっとも信頼する地球人リュウにウルトラマン誕生の歴史を語りました。
「僕が生まれるずっと前の話なんですけど、ウルトラマンは人間と同じ姿だったんです」
「あるとき偶然に僕らの一族はウルトラマンの力を手に入れました。それは決して望んで手に入れた力ではありません*2。でも、力を手に入れたということは果たすべき何かがあるはずだって考えたんです」
「守れるものがあるはずだって。
あれが僕の故郷ウルトラの星です。ウルトラの星は地球から300万光年離れた場所にあります。つまり、今ここから見えているあの輝きは、まだ僕らの一族が人間だった頃の輝きなんです」
ウルトラマンと地球人が共に地球を守っていくための楔となったこのセリフには、ひとつの可能性が秘められています。
すなわち「人はいつの日かウルトラマンになれる」という未来。
このテーマは近年のウルトラマン(ティガ〜ネクサス)で描かれてきたいわゆる『人間ウルトラマン』の可能性に他なりません。この考察で、ウルトラマンメビウスのテーマは「地球人とウルトラマンのパートナーシップ*3」であり、また「M78星雲のウルトラマンと人間ウルトラマンのクロスオーバー*4」であると述べました。
ウルトラマンメビウスは、M78星雲からきたウルトラマンの活躍を描く「正伝」に、「外伝(平成ウルトラマン)」でなければ描けなかったテーマを刻もうとしてるのではないでしょうか。
あくまでも私見ですが、今作のクライマックスに「“自らの意志”でウルトラマンの力を手にする地球人」の可能性が描かれるのではないかと考える次第です。
考察.1 核心
「仮面ライダーカブト」の物語が、第34話で核心へと向けて動きはじめた。
常に的確な判断と大胆な行動で万難を排し、登場人物ならびに視聴者から「正義の盟主」としての信頼を得てきた主人公「天道総司=仮面ライダーカブト」が、エゴイスティックな正義のために他のライダーを根絶すべく活動を始めたのだ。自らの正義を貫くために他者の正義を否定する。乱暴な物言いをすれば、侵略だ。
- 「オレが正義」というコピー
- ゼクトルーパーの群れを率いるように立つカブト。
この展開は、番組開始前に開示された番宣ポスターなどによって予兆されていた。どういうことか、説明しよう。
いわゆる平成ライダーは、基本的に「葛藤を描く群像劇」だ。それは絶対悪の存在を排除するものであり、同時に安易な言葉で語られる「正義」を否定する。その平成ライダーにおいて、「オレが正義」という言葉を鵜呑みにはできない。まして背後に軍隊を従え、武力を誇示するような「正義」ならば、なおさらだ。そして注目すべきはカブトの「星条旗」と同じカラーリングだ*1。
「仮面ライダーカブト=天道総司」とは、仮想アメリカ合衆国なのだ。
さらに物語の発端となった7年前の「渋谷隕石事件」。市民にとっては理不尽すぎる悲劇のカタストロフは、世界を震撼させた9.11事件のメタファーだ。9.11事件の後、「世界の警察」を標榜するアメリカ合衆国は、報復として圧倒的な軍事力で他国へと侵攻した。対して「仮面ライダーカブト」の天道総司は、渋谷隕石事件の出来事をきっかけに、身内を守るために他のライダーたちに宣戦布告をした。
両者の相似は必然だ。正義の盟主として君臨する者が、私情に基づく正義で侵略行為を始めたときの恐怖。オブラートにくるみながらも、視聴者(ちびっ子)たちに体験として伝えること。正解を明示せずとも、そこから何かを感じてもらうこと。それが本作が自らに課した課題なのだから。
「仮面ライダーカブト」が描こうとする物語は、これで終わらない。盟友である我が日本国は、アメリカ合衆国とどう付き合ってゆけばいいのか。傲慢だが、アメリカ(=天道)は悪ではない。しかし、だからといって「軍事力を提供しろ」と言われて「はいそうですか」と従うことは許されない。対等の友だからこそ、友のためにできることを探すのが友情というものだ。
考察.4 ヒカリは絆だ
■受け継がれてゆくもの
5話「逆転のシュート」から登場した謎の超人「ハンターナイトツルギ」。その彼にまつわるエピソードが第10話「GUYSの誇り(06年6月10日放映)」によって、一段落しました。
他のウルトラマンたちと同様、M78星雲の出身である青き超人。かつて愛した惑星アーブを滅ぼされた彼は、顔をマスクで覆った復讐者「ツルギ」として、怪獣ボガールを追って地球へとやってきました。視野狭窄に陥っていた彼は、最初こそメビウスをも目の敵にしましたが、寄生主セリザワとその愛弟子リュウの絆に触れ「やさしさ」を取り戻し、メビウスとの共闘を選択。己の過失を償うかのように身を挺して戦い、力尽きたのです。
ラストで「ウルトラの母」が登場*1したことで、ツルギが「ウルトラマンヒカリ」として復活し、メビウスとGUYSの味方*2になることは間違いないでしょう。
第10話にして主人公のライバルが味方に転身する展開は、ヒーロー作品としては性急な感が否めません。ツルギが闇の呪縛から解放されるには描写不足だったという感想も少なくないようです。ですが、かつて「ウルトラマンネクサス」で同じテーマを突きつめた実績がある以上、これは意図的に「手短に済ませた」と解釈したほうがしっくりきます。
考察1,2でも触れたように、今作は過去のウルトラマンの要素を最大限盛り込みつつ、その続きを描くことを命題としています。かつて描いたテーマは前提でしかなく、「ウルトラマンメビウス」の物語は、僕たちが期待しているよりも更に先を見据えているに違いありません。
それでは、ハンターナイトツルギ改めウルトラマンヒカリは、過去のウルトラマンに照らし合わせると何者に相当するのか。
1. | 特定の敵を追って地球へやってきた。 |
2. | その敵は、かつて滞在していた星を滅ぼしている。 |
3. | 人間と肉体を共有する。 |
4. | 防衛隊員でない者が変身する。 |
5. | その正体は物語序盤に明かされる。 |
6. | 変身するたびに宿主の肉体が消耗する。 |
7. | 自己の闇との対決。 |
最近のウルトラマンに詳しい方なら、もうお分かりでしょう。ウルトラマンヒカリは、ウルトラNプロジェクトのウルトラマン、すなわちウルトラマンネクサスの延長に位置するキャラクターなのです。なにより、ウルトラNプロジェクトのウルトラマンは「光」と称されていたのですから*3。
さて、ウルトラマンネクサスといえば、物語の途中で宿主となる人間が交代することが話題となりました。だとしたらウルトラマンヒカリも……。昭和ウルトラマンの象徴であるセリザワ隊長*4が、世代交代を否定し物語の前線で戦い続けるとは思えませんし、そもそも彼の肉体は限界のようです*5。
ヒカリは、いったいどんな人物に受け継がれるんでしょうね。
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書庫の彷徨人 -Wandering Hard Hard Diary - |
さて、謎の女の正体は高次元捕食体ボ ガール、そしてハンターナイトツルギの人間体はセリザワ前隊長でした。セリザワって、ネクサスを彷彿とさせますよね。ただ一人、組織に属さないでボガールを追い詰める狩人。 |
過去の本日メモ | 青いウルトラマン(敵か味方かわかりません。)が出るようになったので、少しは話に動きがでてきたような。青ウルトラマンの人間体は、姫矢をちょっと年配にしたような感じだし。 |